「あのときやってればな~」
誰しも一度は口にしたことがある言葉です。
これが、人生レベルになったら恐ろしいことです。
体を壊してから気づく
4数年前に受けた人間ドックで、手書きで「G」と書かれて、医者から衝撃的な言葉をかけられました。
その病院の人間ドックの判定が「A」から「F」までだったので、メーター振り切ってしまうぐらい悪い状況でした。
びっくりして、ネットで検索すると同じような症状の人が、たくさん書き込みしているのです。
その中に、「君が明日死んでもおどろかない」と医者に言われたという記事がありました。
本当に医者がそんなこと言うのかなと思いつつも、その時に原因不明のほかの病気も抱えていたし、大腸ポリープの手術をしたりで、当時健康に関する問題が多くて、なんだか怖くなりました。
その時に初めて「死」について考えました。
死ぬときに後悔すること
死ぬときに後悔することをネットで調べると、
・もっと自分のために生きればよかった
・もっと大切な人と過ごせばよかった
・もっと好きなことをすればよかった
・もっと自分らしく生きればよかった
・もっと他人の目を気にしないで生きればよかった
という項目が上位を占めています。
自分はどうなんだろうと思うと、当てはまってしまうような気もする……
健康なときは、終わりが見えないから満たされていないものが見えなくて、終わりが近づいてくると満たされていないものが見えてきて、その満たされていないものを満たそうとしてこなかったのも自分自身ということに気づく。
これ、悲しすぎます。
人生を後悔しないための根幹にあるもの
「人生の目的」「生きる意味」と言うと、「中二病」「答えはない」「そういうの考えたら負け」などと言われますが、死ぬときはそこに行きつきます。
そういう時に、「人生の目的」や「生きる意味」に、自分なりの考えをもっている人は後悔しないのではないかと思うのです。
この頃から、「人生の目的」や「生きる意味」は、「何かを得る」「何かを成し遂げた」「名を刻む」とかではなくて、「人生そのもの」に目的も意味もあると考え始めました。
どういうことかというと、今までの自分の人生をいい人生だったのか振り返ると、喜びも、楽しみも、成功も、悲しみも、苦しみも、失敗も「経験できたこと」が楽しかったのです。
いいこともそれ以上に悪いこともたくさんあったけど、「自分の気持ちに素直に行動して経験すること」、その結果がどうであれ経験することに意味があって、その積み重ねが自分の人生になります。
・もっと自分のために生きればよかった
・もっと大切な人と過ごせばよかった
・もっと好きなことをすればよかった
・もっと自分らしく生きればよかった
・もっと他人の目を気にしないで生きればよかった
これらは全部考えているだけで、行動しなかった結果です。
行動しなかった故に、死ぬ間際に、自分の人生を後悔するのは悲しすぎます。
「自分の気持ちに素直に行動して経験すること」は、健康なときに終わりが見えないから満たされていないものが見えないのと同じように、当たり前すぎて、その大切さが見えないけど、人生を後悔しないためにすごく大切なことです。