年末になると思い出すことがある。
税理士になった今の私なら、なんとかできたのだろうか。
飲食店経営はつくづく甘くない
今から8年前、税理士を目指して学校に通い始めた。
お金が底をついて学校に通えなくなるまでは、通学をしていた。
昼ごはんは大抵、自宅から持参したおにぎり2つ。
おにぎりを食べると、昼は外を歩きながら理論の暗記をしていた。
学生が多い街だったので、昼時になると一斉に学生だらけになる。
まわりを見渡せば、コンビニ、弁当、牛丼、ラーメン屋が、所狭しと店を構えている。
早い、安い、量が多いので、需要と供給は一致している。
そのような中、新しくできた店があった。
こじんまりとしたレストランで、店内が見えるつくりだった。
優しそうな老夫婦が二人で経営していた。
ハンバーグ、グラタン、パスタなどがランチメニューで、単価が大体1,000円ちょっとだったと記憶している。
当時、極貧生活を送っていたが、なぜかこのお店で食べてみたいと思った。
節約をして、ついに入店。
味は期待通り美味しい。
そして、老夫婦がとても優しかった。
とても暖かい二人で、いろいろと話を聞かせてもらった。
ご主人が退職をして、退職金で夢だったレストランを二人で始めたらしい。
二人とも、とても嬉しそうだったのを鮮明に覚えている。
コンビニ、弁当、牛丼、ラーメンのほうが安いし、お腹いっぱいにはなるけど、それよりも、このレストランに、この老夫婦に魅力を感じた。
お金は無かったけど、一ヶ月に一回くらいは通った。
しかし、座っているのは、いつも私ひとりだけ。
私がお店にいかない日も、テーブルが埋まっている様子はなかった。
お店ができてから半年ほど経った日、店の前を通ると店内は真っ暗になっていた。
閉店の貼り紙が貼ってあった。
毎日通ってお店の売上に貢献するなんてことはできなかったけど、なんだかとても悲しい気持ちになった。
税理士だったらなんとかできたのか
税理士試験受験生の私ではなく、税理士となった私が、もしもあのレストランに通っていたらどうなっていただろう。
老夫婦はよく話してくれたので、私も税金やレストラン運営の話をしていただろう。
もしかしたら顧問税理士になっていたかもしれない。
そうすれば、あのレストランが救えたか。
答えは、分からない
私は税理士として、節税、融資、会社運営のサポートはできる。
最善の方法を模索して、提案することもできる。
でも、売上をつくることはできない。
売上をつくる方法を提案できても、それを実行することはできない。
商売をする以上、運的要素も味方につける必要がある。
すべての歯車がうまく噛み合わなければならないので、商売を成功させる難易度はかなり高い。
でも、もしもあのとき税理士だったらと思ってしまう自分もいる。
フリーランスの税理士としての立ち位置
税理士にもいろいろいる。
金の切れ目が縁の切れ目というドライに徹している税理士。
損得勘定ではないと言って、過度な感情移入をして自分が疲弊している税理士。
税理士業以外にも、セミナー、講演、執筆、コンサルなどを展開している税理士。
この数年間、いろいろな税理士と接してきた。
いずれにしても、フリーランスの税理士として独立したからには、自分の立ち位置を決めなければならない。
私は、先日行った執筆業のように、経験したことがない仕事は、これからも積極的に行いたい。
それと同時に今は、「顧問税理士」という仕事に重きを置いている。
税理士業というのは、つくづく特殊な仕事だと思う。
通帳から何から、すべてをオープンにしてもらう仕事が他にあるだろうか。
苦しいときに本音で相談される仕事が他にあるだろうか。
この業界にいると、それが当たり前になるが、そんな仕事は他にはない。
そして、すべてをオープンにされたら、「なんとかしたい」という感情にもなる。
当然、無報酬で仕事はできないし、私財を貸し付けることもできないので、「なんとかしたい」というのは、筋違いかもしれないが、それでも多少なりとも気持ちは入る。
ビジネスライク過ぎず、過度な感情移入もせず、報酬をしっかりいただき、全力でサポートする。
このあたりのバランス感覚は常に意識している。
それだけ、繊細な仕事なのだと思っている。
税理士は万能ではないし、時に無力を感じることもある。
それでも、縁あって顧問税理士になったのならば、全力は尽くしたい。
これが今の、私の立ち位置かもしれない。
あの老夫婦は元気でやっているだろうか。