信じて進んできた道の真逆の意見を取り入れる

 

 

 

 

 

 

この3ヶ月間、肉、魚、卵、乳製品を食べていない。

私が今まで信じてきた食生活と真逆のことをしている。

真逆というのは、今まで肉、魚、卵、乳製品を中心に、タンパク質を意図的に多く摂取してきたからである。

 

私はほぼ毎日筋トレをしているくらい筋トレが好きである。

食事や栄養についても勉強してきた。

筋肉を大きくするにはタンパク質が命なのだが、肉、魚、卵、乳製品を摂らないということは、供給源が遮断されることになる。

あとは大豆くらいしか思い浮かばない。

タンパク質は、通常体重と同じくらいの量を毎日摂取すればいいとされている。

筋肉を増やしたい人は体重の2倍は摂取する。

しかし、肉、魚、卵、乳製品を摂らない限り不可能である。

タンパク質の摂取量が少なくなると、エネルギー不足になり、筋肉も合成できなくなる。

私は当初そう思っていた。

 

肉、魚、卵、乳製品を食べない生活をして体重が5㎏減った。

しかし、筋トレで扱うウェイトのMAX重量は上昇し続けている。

それどころか、肘・膝・手首などの関節の痛みもなくなり、疲労感も減った。

起きている間は、眠いと感じることもない。

 

通常、体重が減れば、扱うウェイトは下がる。

タンパク質を十分に摂れていないのならば、栄養不足で疲れやすくなる。

しかし、身体は過去最高にいい状態になっている。

本当に「自分」にとってタンパク質は体重の2倍も必要なのだろうか。

真逆の意見を知らないと盲目的になり思考停止になる

 

 

 

 

 

今まで、常識や普通、良いとされるものを信じてやってきたけど、それは「自分」にとっては良いことだったのだろうか。

そう感じ始めてから思考が変化した。

思考が変化すると、集める情報が変化する。

今まで見向きもしなかった情報をキャッチするようになる。

自分が信じてきた道と真逆の道を進んでいる人たちが発信している情報を集めるようになる。

 

筋肉を増やすにあたって、今まで私が信じてきたことは間違いなく正しいことだと思う。

それで結果を出している人はたくさんいるし、その方法が正攻法である。

この考えは変わらない。

しかし、それが私に最適だったかというと、そうではないような気がしている。

 

例えば、さきほどのタンパク質の話だが、筋肉を増やしたい人は体重の2倍は摂取するとされているが、胃の消化液の分泌が少ない人だったらどうだろう。

摂取したタンパク質は栄養としてうまく吸収されず、逆に身体に負荷をかける。

腸の働きが弱い人も同様である。

自分で気づいていないだけで、肉、魚、卵、乳製品が身体に合わない人も必ずいる。

こういう情報や視点は、筋肉を増やすことだけ考えて情報をキャッチしていたら、確実にスルーしてしまう情報である。

 

キャッチする情報は真逆の意見も取り入れたほうがいいというのは間違いない。

どちらに進むかは自分次第だが、自分とは真逆の立場の考えや行動を知らないと、盲目的になりすぎてしまう。

私はある意味で思考停止になっていたのかもしれない。

「正しさ」と「普通」を疑うと主語は「私」になる

 

 

 

 

肉、魚、卵、乳製品を摂っていないという話をすると必ず、

身体に悪い

バランスが悪い

それ大丈夫なの

という意見をもらう。

私も自分が試してなかったら、確実に同じことを言っていた。

肉、魚、野菜をバランスよく食べるというのが常識だから。

でも今は、自分にとっては違う(のかも)と思っている。

 

私は、今の食生活を始めて薄々気づいていたが、約80項目の数値が分かる血液検査を受けて確信した。

身体の状態が過去最高に良くなっている。

体感もいいし、数値的にもいいのだから、今のところは「私」にはこの食生活があっていたということだろう。

 

タンパク質、脂質、炭水化物、ビタミン、ミネラルは偏らないように意識して摂っているが、肉、魚、卵、乳製品は摂っていない。

私の場合は、こだわっている訳ではないので、食べたいと思ったら食べるつもりだが、今のところはもう少しこの食生活を続けてみようと思う。

 

ちなみに、肉、魚、乳製品、卵を除いても、食べるものはたくさんある。

食事も以前より楽しめる。

これも新しい分野の情報をキャッチできたおかげで体験できたことである。

私は筋肉を増やすための勉強をして実行してきたつもりだが、もしかしたら思考停止になっていたのかもしれない。

常識、普通とされているものを盲目的に信じてやってきたからである。

 

信じてきた道、積み重ねてきたことの真逆を行くというのは、環境を変えることに似ている。

その先に確実に新しい発見がある。

そして「正しさ」と「普通」を疑うと主語は「私」になる。