先日、久しぶりに、20代の頃に試した自己分析をしました。
20代の頃は、この手の自己分析が好きで、相当試したのですが、今回おもしろい結果になりました。
今の状況と当時の状況はまったく違うのに、同じような結果になったのです。
人の根底にある性質は変わらないということかなと。
本質は変わらない
大きく分けると、私は内向的な人間です。
20代の頃は、自分が内向的な人間と診断されたのが、とても嫌でした。
自分はイケイケの外交的な人間だと信じていたからです。
でも本当は信じていたのではなく、演じていただけです。
当時の事業会社で、ガツガツ営業数字を叩き出しているのは、イケイケな外交的な人だったのです。
自分も外交的な人間、つまりデキる営業マンだと信じたかったのに、典型的な内向的な人間と診断されたのがショックだったのです。
でも、この内向的な部分が私の根本にある性質であることは間違いありません。
悲劇なのは、本質は内向的な人間なのに、外交的な人間になろうとしていたことです。
学術的なことは書けないのですが、「誰しも内向的な部分と外交的な部分を持ち合わせているが、本質は先天性のものなので変えることができない」と言われています。
私の場合は結局、イケイケで外交的なサラリーマン人生を十数年経験して、やはり無理だったという結論になったわけです。
少数派か多数派か
事業会社、税理士法人、会社起業、税理士開業を経験してきました。
ひとつの仮説として、
少数派はフリーランス(迷ったら人と違うことをする)
多数派は会社員(迷ったら人と同じことをする)
とも言えます。
これが本人の性質とマッチしていれば最高なのですが、会社員とフリーランスの割合は会社員のほうが圧倒的に多いです。
8対2くらいでしょうか。
この8の中には、本当は少数派思考な人が含まれています。
このミスマッチに気付いて動き出せないと、本来の自分とは違う生き方をすることになるのではないでしょうか。
「内向的と外交的」「少数派と多数派」どちらが優れているかというのは、結論づけられないです。
ただ、どちらかがいないと、この世界は成り立たないはずです。
日本全国民がフリーランスになったら、あっという間にこの国は崩壊します。
日本全国民が少数派を選んだら、収拾がつかなくなります。
だから、
・自分のやりたいことやる
・好きなことをやる
・嫌いなことはやらない
のような、少数派の生き方、ある意味「自由」な生き方は、多数派の人がいるからこそ成り立っているのだなと。
そもそも役割が違います。
多数派は
・集団で組織や社会をつくる
・すでに出来上がっている仕組みをさらによくしようとする
・1を10にする。
・世界を動かすのはこのタイプ。
少数派は
・個人の影響力を拡大する
・自分で仕組みをつくろうとする
・0を1にする
・世界を変えるのはこのタイプ
それぞれの役割が違うからこそ、多数派は少数派を良く思わず、少数派は多数派を良く思わない傾向がありそうですが…
ひとり税理士は少数派
ひとり税理士は圧倒的に少数派です。
そして、「敏感」な人が多いのではないでしょうか。
誰しもが最初からひとり税理士なわけではなく、会計事務所や事業会社に勤務したうえで、ひとりで独立します。
少なくとも「多数派」、「外交的」、「人と同じ」を経験しています。
規模拡大が主流の税理士業界や、規模拡大が使命の事業会社では、必須の性質かもしれません。
これらが自分の性質にマッチしていればいいのですが、そうでない場合は生きづらくなります。
そして、「おかしい」と思ったことや、違和感を覚えることを看過できない人が、「ひとり」になるのではないでしょうか。
他人を変えようとせず、自分が変わる。
「他人とのバランス」よりも、「自分のバランス」を重視する。
ひとり税理士にはそういった方々が多いように感じます。
実際に私がひとり税理士になってみて感じることは、
ひとり税理士といっても、孤立するわけでもなく、一人で生きていくわけでもないということです。
会社員時代よりも、連携する人、切磋琢磨する人が明らかに増えています。
税理士であれば、税理士法人化して拡大するのもひとつの生き方ですし、少数精鋭でやるのもひとつの生き方です。
そして「ひとり」になるのもひとつの生き方です。
誰かのための生き方ではなく、自分にあった生き方をするのが一番です。