最近、この道12年のベテランに「あなたの武器は誠実だ」と言われた。
この「誠実」について考えてみた。
誠実はキラーフレーズ
この誠実というのは、ある意味キラーフレーズである。
誠実な人と聞いて、悪い印象を持つ人は少ない。
一方で、抽象的な言葉なので、何が誠実なのかもよく分からない。
人それぞれ誠実の定義も違うだろう。
そして、今までの人生で、うさんくさいと感じた人ほど、見事に自分のことを誠実だと言っていた。
私のことを誠実だと言ってくれた方の言葉。
「あなたは嘘をついたり、自分を大きくみせたりするのはやめたほうがいい。そういうのは、とことん向いていない。」
なるほど、確かに向いていない。
私のうさんくさい人感知センサーは、そういう人に反応する。
そんな自分を演じるのが嫌だから、ひとりで自由に仕事をしている。
誠実は「伝える」のではなくて「伝わる」
仮に、誠実が武器ならば、この強みを前面に押し出したいところだ。
「私は誠実です」
「好きな言葉は誠実です」
「誠実な税理士です」
「誠実な対応をします」
………
………
なぜだろう。
アピールする気にはなれない。
誠実というのは、「伝える」のではなく、「伝わる」ものではないだろうか。
私はそう思う。
だから、必死にアピールするのではなくて、
縁あって、一緒に仕事をすることになった方々に伝わるなら嬉しい。
ブログを読んでくれた方々に伝わるなら嬉しい。
ちなみに私は、自分が誠実かどうか分からない。
というか、誠実かそうでないかなど考えたこともない。
ましてや、何が誠実で何が誠実でないのかを定義することもできない。
さまざまな要素が絡みあって、信用に足る人と感じれば、それが誠実という言葉に変換されるのかもしれない。
誠実という武器の発動条件
20代の頃、ひたすら自分の武器を探し続けて結局見つからなかったけど、なんで見つからなかったのか分かった気がする。
仮に私の武器が誠実であるならば、ありのままの自分で生きていないと、その武器は活かせないのではないだろうか。
ありのままの自分とは、私の場合、自分に嘘はつかないとも言えるし、理想像や期待されている姿を無理に演じないとも言える。
カタチにできず、目に見えない「誠実」という武器は、自分に対して誠実に生きていることが、発動条件なのかもしれない。
今なら、この武器を活かすことができるだろうか。
こんな感じで仕事をしています。